こばなし

「頑張る」「当たり前」/言葉の価値観

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日本語って表現が多彩すぎて難しいと、いつも思う。

個人の性格・価値観によって、同様の意味を表すにも用いる単語は違う。
特に“価値観”によっての違いが大きいなぁ…と感じた。そんなお話。

「頑張る」

高卒・和気あいあい運動部・ヤンキーでもない学生生活を送ってきた私は、
いわゆる“縦社会”とは縁遠いポジションで生きてきた。

だから、「根性論・精神論・先輩は絶対」といった類の体育会系シンキングが少々苦手だ。
(もちろん社会に出たら幾度となく上司とぶつかり、苦労した。笑)

それらが関係しているのかどうかはわからないが、この「頑張る」という言葉に違和感をずっと持っていて、極力使わないようにしていた。
理由は結果の担保されない どこか無責任な精神論のように聞こえたから。

 

でもここ数年は抵抗がなくなった。むしろ自然に使うようになった。
歳を重ね、いろいろな経験から“価値観”が変化したからかもしれない。

 

人生は上手く物事が進むとき、何やっても上手くいかないときが誰にでもある。
どんな人でも「休みたい・怠けたい」って思うときもあれば、な〜んか気が乗らない…って日もある。
そんな波こそが人生なのかなと。

そんな良くない流れのときに自分や周りの人を奮い立たせる意味で「頑張る」って単語が存在してもいいんじゃないか?なんて最近は思う。

 

「当たり前」

最近は「当たり前」という言葉が怖いと感じるようになった。
これも価値観の変化によりものかもしれない。

「当たり前」という単語の、私の中での意訳は
「自身の価値観・考えに基づいて当然と思うこと」

怖いな〜と感じるのは、この中に相手の価値観・考えが入っていないこと。
「当たり前」と相手に放つ時は、知らず知らずのうちに自分の価値観・考えを押し付けてしまっている、なんてことにもなり得る。

翻って、この言葉が意図せず口をついたとき、
自分の価値観・考え方が凝り固まっている兆候(サイン)かも…と、
“ハッと”なるときがあるのだ。

人の価値観というのは、本当にバラバラだし自由であるもの。
決して押し付けるものではない。
「当たり前」って言葉で簡単に片付けてしまってはいけないんじゃないか、と、最近は思う。

自分の価値観を押し付けることに比べたら、相手の価値観を受け入れ すり合わせることの方が余程難しくエネルギーを使う作業である。
ここで楽な方に簡単に流れてしまってはいけないなぁと。

日頃、私もまだまだ無意識に出てしまうけど、これが出たら「ハッと注意報」だと意識するように心掛けている。

そんなお話。

 

みなさんは普段意識している言葉・単語があるでしょうか?

 

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